20数年前の決断が5年前につながり、そしてまた現在につながっていました。
やはり自分の望んだ選択は大切である。

 私が高校生の頃のお話です。
当時から長身だった私は、運動系の部活に入部することを周囲全般から期待されていました。
が、当の本人が実際に入部したところ、まったく楽しくありません。
自分のために活動しているという実感が全くありませんでした。
部や学校のために活動するのであって、個人の意思が入る余地はなかったのです。

今にして思えば、望まぬことに従事した結果、体調を崩したような記憶がおぼろげに残っています。
結果として一か月ほどで退部。
この時、母親は散々に私をけなしました。本人の意思にまったく関心をもたなかったことが印象的でした。

 部活を無所属にはできなかったため個人的に関心のあった写真部に転属しました。
自分が絵も図も描けないため、道具を使って表現ができる写真はすばらしいものに思えたのです。

父親が購入したあと使わなくなったカメラ(当時は35mmフイルム)を持ち歩き、残りの高校生活を過ごしました。
基本的に強制されるような指示がなく、モノクロとはいえ現像設備も自由に使えるという恵まれた環境です。

撮影する事が金銭的負担になる時代なので、シャッターボタンの一押しごとに緊張感がありました。
今はもう再現できない写真が、額に入れて自宅に残っています。

この時期に習得した初歩的な撮影技術は、カメラのデジタル化が急速に進展したことで成人後に役立つことになります。
旅行先や家族・親族の記録は、撮影画像によって残されるようになりました。

 そして時が大きく流れた2012年。
インターネットの普及が進んだ時代、SNSに登録して活動いたある日「撮影してほしい」という依頼を受けました。
出かけた先で撮影したりお話を伺ったりして、有意義に過ごしました。
撮影した日にビックカメラの即日プリント機器を使ったり、後日画像データをCD-Rにしてお届けしたりと、一人ではできない経験をさせていただきました。
その後はSNSを退会したため、思い出したら年賀メールを送信するくらいのお付き合いになっていました。

 さらに時は流れて、つい先日の土曜日。
電話が着信した相手は5年前に撮影した方でした。
諸事情で生活環境が激変する、という連絡でした。
あの時(2012年)に撮影しておいて本当によかった、と。
偶然PC前にいたので当時の画像データが残っている事を確認し、それも喜ばれました。
状況が激しく移り変わるので、あらためて連絡を待つことになりました。

 自分のやりたかった事が、誰かの役に立った時は充実感があります。
疑問を抱えたまま高校生活を続けていたら、その充実感は得られなかったでしょう。
この年齢になってやっと自分の望んだ選択の大切さを知りました。